2021/11/22

【メモ】石川真一郎さんの講演会

昨晩、麻布学園内イベントで石川真一郎さんの講演会がありまして、それについて思ったことのメモです。

NFTとデジタルコンテンツとの関係。 

コンテンツは多くの人に視聴してもらうことが価値。ただ、一方で違法コピーのように拡散が制作者側に無関係に行われてしまうと、制作を続けられないという負の側面がある。

NFTはその関係性をひっくり返す、という話。コンテンツに対する何らかの権利を発行、販売して、それを発信側にフィードバックする。一方で、コンテンツのコピーは自由に流通する。
その根底にあるのは、「モノに感じる価値は人それぞれ異なる」という視点。貨幣という一つの軸に収るものではない、一物一価ではないという考え方。 

価値を感じる人が、その価値に応じた対価を支払い、制作者を支える。
そこまでは事前にある程度勉強してわかっていたのだけれど、とはいえまだモヤッとすることが残っていて。結局、フリーライドする人ばかりになってしまって、コンテンツ制作は生業にはならないのではないか、と。 

お金を支払うに値しないと思っている人にコンテンツが消費されることはOKなのか。今まで違法サイトでこっそり見ていた人が、堂々とフリーライドするだけじゃないか。
と思っていたけど、実は違っていた。

ここからは私の解釈。
コンテンツのフリーライダーは、実はフリーライダーではない。有限の時間しか持たない人間にとって、「時間」は価値があり、それを支払っている。
但し、その単価は人によって異なる。コンテンツをタダで消費する人にとって、貨幣として対価は支払っていないのだけれど、「時間」は支払っている。時間を支払って、コンテンツのミームを吸収し、また拡散する。

人によっては、それが自分の時間を支払ってもなお支払いきれない価値を感じていれば、それを対価として支払う。他方、(動画など)時間を掛けるだけの価値がないと思えば、倍速視聴などで節約する。
しかし、いずれにしてもその人が感じる価値の分だけ、何かを支払っている。 

最近、youtubeなどで、スパチャをよく見る。100人いれば2,3人は飛ばす。スパチャを飛ばす人、時間を使い拡散する人、吸収だけする人、時短で見る人。
これは善意とか施しとか、そういう世界じゃなくて、自分の価値判断に従う世界。誰かに決められた価格ではなく、自分の価値基準を持つ。

これから世界の中心になる世代にとっては、これが当たり前の世界になっていくんじゃないか。

そして、誰が何にどれだけ支払ったかが可視化され、それがその人のステータスになり、発言力になり、人格になる。
そういう世界を、氏は見ているのかなと思いました。

なお、石川氏は Short shorts Film Festival でも講演をなさっているので、こちらも非常に面白かったです。より詳しく、コンテンツとNFTとの関係についてお話頂いています。

https://www.youtube.com/watch?v=I550Znb2Ec0